1995年1月17日午前5時46分
淡路島野島断層を震源とした都市部直下型地震が発生。
約6500人の命を奪った大災害から29年の時が経ちました。
発生直後の神戸の空は真っ赤で
朝焼けとは思えない”赤”が神戸の街全体を置い異様な風景を見せ
地震発生直後には暗転、そして街全体が燃え上がる”赤”として様子を変え
街全体を再度包み込みました。
高速道路は根元から折れ、ビルは崩れ、街は液状化
今まで何気なくあった日常がほんの数分で崩壊するその様を見て
自然界の力と災害の恐ろしさを教訓に
「前を向いて進む」ことの重要さに気づかされました。
神戸の街の復興は神戸の力だけでは到底実現できず
日本国内はもとより、海外からの大規模な支援と献金によって立ち上がり
今の神戸の街が何不自由なく成り立っています。
もう震災を経験する人々も最年少で29歳。
神戸に生きる人間としてこの1,17は一生特別な日であり続けます。
2011年3月11日14時46分 東日本大震災発生
東北地方の太平洋沿岸部を震源とする大地震と大津波が発生。
のちに”東日本大震災”と命名され、多くの方々が犠牲に。
二次災害の影響は凄まじく、福島第二原発の故障、
大津波による大水害、何気ない日常が一瞬にして”崩れ、流れ、消され”
この大津波と大地震で16年前神戸で発生した”阪神大震災の追憶”を
鮮明に思い出し、自然の脅威と力に圧倒されました。
そしてコロナも収束し平穏な年を迎え、新年の非常に穏やかな空気を
一瞬で切り裂く大きな縦揺れが石川県珠洲市を中心に発生。
2024年1月1日16時10分 令和6年能登半島地震
輪島市での大火災や沿岸部での津波、
そして山間部では”山の津波”と言われる大規模な土砂崩れが
正月の民家を襲い多くの命が奪われました。
「忘れた頃にやってくる」
日本で生活する以上、地震とは密接な関係であり宿命とも言える”自然現象”
あの時の恐怖と未来へのかすかな希望を見出し、明日への活力に変えた
あの時代の人間力は日本人が持つべき潜在能力です。
今回の被害でも多くの方が”様々な行動”に起こして
石川のためになる動きを見せています。
被災者支援の方法は現地に出向いて行うこともあれば
逆にそれが迷惑になり得る行為もあります。
いつも日本のために。
そして皆で助け合い歩みを止めない強い日本に。
大災害でお亡くなりになられました犠牲者の方々に鎮魂の意を捧げます。
どうか安らかにお休みくださいませ。
坂本